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小倉北区熊本・大畠・宇佐町地区の昔話②
2025.08.29

今回は前回からの続きです。
小倉鉄道の遺構と小倉炭鉱跡地付近の細い路地
大畠のリブホールの裏手一帯は現在住宅地になっています。
この辺りの一部地域には住宅の基礎部分が周囲よりも少し高くなっている箇所があるのですが、そこは小倉鉄道が敷設された築堤(盛り土にして線路を敷く部分)だったと考えられます。
足原一丁目西交差点手前(大畠側)から熊本地区方面を望む。画像中央の川に鉄道の橋が架かっていた。
上の画像の左手奥の建物の下には鉄道のレンガ橋の橋台が残っている。
小倉鉄道は、現在運用が休止されているJR東小倉駅(国道3号線沿いのローソン・ポプラ小倉高浜店から見えます)から砂津・富野・足原・黒住・霧が丘・水町を抜け、国道10号線や日豊本線をクロスオーバーし、日田彦山線の石田駅に向かっていた路線(当時の終点は現在の添田駅)で、途中には先述した妙見駅がありました。
国有化された後には城野・石田間に短絡線が開通して、貨物支線として残ったものの昭和37年に東小倉・水町信号場(城野からの短絡線と元々の路線の接続地点で現在の西水町南公園付近)間が廃止され姿を消しました。
いかにも鉄道が分岐された様な緩やかなカーブを描く道路。この地区にはこういった形態をした道路が数多くあり、鉄道跡を転用した道路だったのではないかと思わせます。
小倉鉄道がここに敷設されたのは小倉炭鉱でこのエリアが栄えていたためで、小倉炭鉱があった大畠・宇佐町には石炭を載せて運ぶトロッコの線路が数多くあったとのことなので、このエリアに細い入り組んだ路地が多いのは、そのトロッコの軌道(線路)跡を転用したのではないかと想像できます。
いかにも線路が分岐しそうな形をする交差点が多いのはそういった事情なのではと思われます。
(勝手な妄想で違っていたらすみません)
足原一丁目西という交差点にあるビルの裏にある川には小倉鉄道時代に作られたレンガ造りの橋台が残っています。
またその場所からリブホール大畠店の裏に抜ける道(ここが先述の住宅の基礎が高い地域)の途中では、十数年前には住宅の新築工事で地面を掘り起こしたところ、先ほどとは別の小倉鉄道のレンガの橋台跡が出てきたと当時ニュースにもなりました。
今後もこのエリアで住宅の新築や工事が行われた際にはこうした炭坑や鉄道の遺構が発掘されるかもしれません。
もしかすると炭坑の名残りもどこかにあるのかもしれません。
今回のコラムを書くにあたって、
・「まち歩き史跡めぐり北九州」(gooブログ)
・「日々の”楽しい”をみつけるブログ」(はてなブログ)
・「Kitakyu Heritage」(ウェブサイト)
・「小倉炭鉱発掘記録」
・「ひろば北九州 2009年4月号No.274」
・「北九州市史」
・「鉄道廃線跡を歩くV」
等を参考にさせて頂きました。